酸・塩基の強さ
酸と塩基の定義にはさまざまなものがあることを紹介しました。また,その中で最も一般性が高い(範囲が広い)定義がルイスによる定義ではあるが,実用上はブレンステッド・ローリーの定義も捨てがたいという旨の説明をしました。実用という意味では,ブレンステッド・ローリーの枠内で説明がつくのであれば,ルイスに手を出さず,ブレンステッド・ローリーでは扱えない場合にルイスの定義を登場させるというのが合理的です。本節からはしばらくブレンステッド・ローリーの定義に集中します。
酸解離定数
一般のブレンステッド酸・塩基をそれぞれ $\ce{HA}$ と $\ce{B}$ で表記することにします。
復習になりますが,ブレンステッド酸・塩基からそれぞれ共役塩基・共役酸が生じるのでした。$\ce{A-}$ は $\ce{HA}$ の共役塩基であり,$\ce{HB+}$ は $\ce{B}$ の共役酸です。もう少し具体的に,塩基 $\ce{B}$ を水 $\ce{H2O}$ としてみましょう。
反応(\ref{HAH2O})において,酸解離定数(acid dissociation constant, acidity constant)は以下で表されます。
酸解離定数(酸の電離定数)は高校化学でも習いますが,定義が少し違っています。一つは $a_\ce{HA}$ のような表記で定義されていることで,$a_i$ は各化学種の活量(activity)と呼ばれるものです。活量が何たるかを理解するには熱力学の知識が必要になるため,活量を「熱力学的な濃度」とぼかして説明する教科書も多いですが,どうせぼかすのであれば「モル分率みたいなもの」や「モル濃度みたいなもの」の方が実用的と思います。もう少し丁寧に説明すると,熱力学では溶液の溶質や溶媒がそれぞれ持つ,化学ポテンシャル(chemical potential)という物理量が登場し,化学ポテンシャル $\mu$ が溶媒や溶質の濃度で記述できる希薄溶液を理想希薄溶液(ideal-dilute solution)と呼んでいます。
化学ポテンシャルは標準状態を定めて,標準状態における化学ポテンシャル(標準化学ポテンシャル)と,標準状態からずれた分の補正である部分の和として表されますが,標準状態の定め方によって補正に必要な濃度の表し方も変わってきます。IUPAC により,溶媒の標準状態は液相の純物質が標準圧力 $p^\circ$ にある状態と定められており,純物質なのでモル分率 $x$ が $1$ のときの標準化学ポテンシャルが定義されています。一方,溶質の場合はモル分率,モル濃度,質量モル濃度の三種類のいずれかを標準状態を定める基準に用いることができて,どれを選択したかによって標準化学ポテンシャルが変わってきます。
ここまでは理想希薄溶液の場合の話ですが,現実は理想からずれるもので,溶質の化学ポテンシャルが単純な濃度で記述できない非理想の場合でも,濃度をうまく補正して化学ポテンシャルを記述できるようにしようと導入される,いわば補正した濃度が活量 $a$ です。
上述の通り,溶媒については濃度をモル分率 $x$ で表すことになっていますので,希薄溶液では溶媒の活量は溶媒のモル分率 $x$ に漸近して,希薄な水溶液では $a_{\ce{H2O}} \approx 1$ になります。溶質については,IUPAC により認められている三種類の濃度の表し方のそれぞれについて活量が定義されるので,活量も三種類あることになりますが,平衡定数を表す際によく使われるのはモル濃度ですので,活量もモル濃度バージョンを使うことにすれば,希薄溶液では活量 $a$ はモル濃度に漸近します。
多くの希薄溶液は,ほぼ理想希薄溶液として振る舞うと考えて(意外とそうでもなかったりするのですが,そこは目をつぶって),溶媒の活量を $1$(つまり溶媒は平衡定数の式に入れない),溶質の活量をモル濃度と考えて構いません。したがって,(希薄溶液の)活量を一言でいうと,「(溶媒に関しては)モル分率,(溶質に関しては)モル濃度みたいなもの」です。よって,希薄溶液の $\Ka{}$ は,各溶質成分のモル濃度を使って式(\ref{Kadef})のように表されます。ここでは説明のため書きましたが,溶媒の活量 $a_\ce{H2O}$ については初めから省略して書かなくても構いません。高校化学ではいきなりモル濃度で定義されますが,希薄条件で活量を近似した結果がモル濃度である点に注意してください。以下の議論では,特に必要がない限り,モル濃度表記で話を進めます。
もう一点,高校の化学ではモル濃度で定義した $\Ka{}$ の分母に $\ce{[H2O]}$ が登場し,溶媒のモル濃度は一定だからこれを $\Ka{}$ の側にまとめてしまって,というような説明を受けた方もいると思います。しかし,活量を使った議論から分かるように,溶媒のモル濃度というものを登場させる必要はありません。これは化学ポテンシャルや活量という言葉を使えない高校化学の制限故の方便であると理解して,(間違いなので)溶媒のモル濃度という考え方は,今後は忘れてしまって構いません。
弱酸では,未解離の $\ce{HA}$ が多いので $[\ce{HA}]\gg[\ce{A-}]$ であり,$\Ka{}\ll 1$となります。$\Ka{}$ はとりうる値の幅が広いので,$\pH$ 同様に対数 $\pKa{}$ で表すことが一般的で,弱酸では $\pKa{}$ が大きくなります。式(\ref{Kadef})の式変形により $\pH$ はヘンダーソン・ハッセルバルヒの式(Henderson-Hasselbalch equation)として知られる次式で表されます。この式は後の講義 > 酸・塩基 > 緩衝液の $\pH$ で学ぶように,緩衝液の $\pH$ を求める際に活躍します。
$\Ka{}$ と $\Kb{}$
ブレンステッド塩基 $\ce{B}$ と水との反応は以下で表され,酸解離定数の塩基版である $\Kb{}$ が定義できます。
弱塩基であれば $\ce{[HB+]}\ll \ce{[B]}$ なので,$\Kb{}\ll 1$ となります。また,$\ce{HB+}$ は共役酸であり,その $\Ka{}$ は次式で表されます。
よって $\Ka{}$ と $\Kb{}$ の積は水のイオン積 $\Kw$(autoprotolysis constant)になります。
ブレンステッド塩基の強さを $\Kb{}$ や $\pKb{}$ で表しても良いのですが,酸か塩基かは相手次第,相対的なものになりますので,$\Ka{}$ と $\Kb{}$ を混在させると扱いが面倒です。式(\ref{KaKbKw})は,塩基の共役酸の $\Ka{}$ を用いてブレンステッド塩基の強さを表すことができるということを示しています。そこで,通常ブレンステッド塩基の強さを表すのに $\Kb{}$ を使わずに,その共役酸の $\Ka{}$ を用います。強塩基であれば $\Kb{}$ が大きく,したがってその共役酸の $\Ka{}$ は小さくなって弱酸ですので,塩基の共役酸の $\pKa{}$ は正に大きくなります。
代表的な酸の酸解離定数を下に示します。一般に強酸と呼ばれる酸は $\pKa{} < 0$ の酸のことです。塩酸,硫酸,硝酸とそうそうたるメンバーが並んでいます。弱酸は $\pKa{} > 0$ で,酢酸の $\pKa{} = 4.76$ が典型例です。アンモニアは,共役酸であるアンモニウムイオンの $\pKa{}$ が $9.25$ と出ていますが,酸としての $\ce{NH3}$ 分子を考えることもできます。$\ce{NH3}$ は $\pKa{}=33$ で,$\ce{NH2^-}$ がとても強い塩基であることがわかります。
代表的な酸の $25\oC$ 水溶液中での酸解離定数をまとめます。酸解離定数は(特に $\pKa{} < 0$ の強酸では)実験的に求めたのか理論的に求めたのかなどの違いによって文献によっても異なる値が見られますし,後の講義 > 酸・塩基 > 非水溶媒系で学ぶように,強酸はそもそも水中で水平化されるため数値の絶対値はあまり重要ではありません。
$\ce{HA}$ | $\ce{A-}$ | $\Ka{}$ | $\pKa{}$ | |
---|---|---|---|---|
$\ce{HI}$ | $\ce{I-}$ | $10^{11}$ | $-11$ | |
$\ce{HClO4}$ | $\ce{ClO4-}$ | $10^{10}$ | $-10$ | |
$\ce{HBr}$ | $\ce{Br-}$ | $10^9$ | $-9$ | |
$\ce{HCl}$ | $\ce{Cl-}$ | $10^7$ | $-7$ | |
$\ce{H2SO4}$ | $\ce{HSO4-}$ | $10^2$ | $-2$ | 硫酸の $\pKa{1}$ |
$\ce{HNO3}$ | $\ce{NO3-}$ | $10^2$ | $-2$ | |
$\ce{H3O+}$ | $\ce{H2O}$ | $1$ | $0$ | |
$\ce{HClO3}$ | $\ce{ClO3-}$ | $10^{-1}$ | $1$ | |
$\ce{HSO4-}$ | $\ce{SO4^{2-}}$ | $1.2\times 10^{-2}$ | $1.92$ | 硫酸の $\pKa{2}$ |
$\ce{HF}$ | $\ce{F-}$ | $3.5\times 10^{-4}$ | $3.45$ | |
$\ce{CH3COOH}$ | $\ce{CH3COO-}$ | $1.74\times 10^{-5}$ | $4.76$ | |
$\ce{H2CO3}$ | $\ce{HCO3-}$ | $4.3\times 10^{-7}$ | $6.37$ | 炭酸の $\pKa{1}$ |
$\ce{NH4+}$ | $\ce{NH3}$ | $5.6\times 10^{-10}$ | $9.25$ | |
$\ce{HCO3-}$ | $\ce{CO3^{2-}}$ | $4.8\times 10^{-11}$ | $10.32$ | 炭酸の $\pKa{2}$ |
ところで,強いブレンステッド酸はヨウ化水素 $\ce{HI}$($\pKa{}=-11$)が代表的ですが,反対に最弱クラスのブレンステッド酸は何でしょう。メタン $\ce{CH4}$ がブレンステッド酸としてはたらくとき,$\pKa{}=49$ であり,最弱クラス(逆に言うと,共役塩基の $\ce{CH3^-}$ は最強のブレンステッド塩基)と言って間違いないでしょう。このように,酸解離定数は対数表示で $-11$ から $49$ までの実に $60$ 桁の幅を持つ定数ということになり,それが通常,酸解離定数を表すのに対数表示が用いられる理由となっています。
上で見たように,ナトリウムアミド $\ce{NaNH2}$ は強いブレンステッド塩基です。一方,アセチレン $\ce{HC#CH}$ は弱いブレンステッド酸です。両者は次のような酸塩基反応を示します(ただし,$\ce{NaNH2}$ が水と反応するので溶媒として水は使えません)。
生じたアセチリドイオン $\ce{HC#C\!:\!^-}$ は反応性が高く,様々な有機化学反応に利用することができます。
多価のブレンステッド酸
炭酸 $\ce{H2CO3(aq)}$,硫酸 $\ce{H2SO4}$,リン酸 $\ce{H3PO4}$ など,プロトンを多段階で解離できる酸では,それぞれのプロトン解離ごとに $\Ka{}$ が定義できます。炭酸を例とすると以下のようになります。
一般に,多価の酸では解離の段階が進むにつれて $\pKa{}$ は大きくなります。上の表にある通り,炭酸の $\pKa{1}$ と $\pKa{2}$ はそれぞれ $6.37$ と $10.32$,硫酸では $-2$ と $1.92$ となっており,第二段階の酸解離定数は第一段階と比べて 4 桁小さい数字になっています。