炭酸カルシウム

たんさんかるしうむ

calcium carbonate

炭酸カルシウム $\ce{CaCO3}$ は自然界に広く見られる物質です。貝殻やサンゴが海底に堆積して地質学的な長い期間を経ると,炭酸カルシウムを主成分とする石灰岩(limestone)になります。資源の乏しい日本ですが,カルスト地形などでも知られる通り,良質の石灰石は自給できるほど豊富にあり,これらは今から数億年前にできた熱帯域のサンゴ礁などの生物礁が,プレートの動きにのせられて日本列島の元となった当時の大陸に運ばれてきたものです。建材として用いられる大理石(marble)は石灰岩が地中のマグマによる熱変性を受けて生じたものですので,やはりその化学成分は炭酸カルシウムということになります。

炭酸カルシウムを主成分とする鉱物としては三方晶の方解石(calcite)や斜方晶のアラレ石(aragonite),また天然にはあまり見られませんが,六方晶のバテライトが知られており,これらは結晶系が異なるだけで,化学組成は $\ce{CaCO3}$ で同じです。ここでは鉱物としての違いには触れず,化学物質としての炭酸カルシウムについて紹介します。

炭酸カルシウムの性質

炭酸カルシウムで重要な化学的性質の一つは中性の水に極めて溶けにくいということで,これは炭酸ナトリウム $\ce{Na2CO3}$ が水に溶けやすいのとは対照的です。ある物質がある溶媒に溶けやすいかどうかは,基本的に溶解前後のギブズエネルギー変化が大きく関わります。炭酸カルシウムはイオン結晶ですので,水に溶けたとすると,陽イオンの $\ce{Ca^{2+}}$ と陰イオンの $\ce{CO3^{2-}}$ に電離するわけですが,溶解前に正電荷と負電荷がクーロン力によって引き合ってイオン結晶を形成しているのと,溶解後に各イオンがバラバラになり,水和によって安定化するのとを比べて,どちらがより安定であるかというエンタルピーの効果をまず考え,そこに水和により減少するであろう水分子のエントロピーの効果を合わせると,溶解に伴うギブズエネルギー変化を予想することができます。

結論としては,陽イオンと陰イオンの両方が 2 価であり,かつイオンの電荷密度が大きい(イオンのサイズが大きくない)場合は,イオン結合による格子エンタルピー分の安定化が大きく,その分を水和で挽回するのは難しいため,例外はあるものの,水に溶けにくい物質が多いです。一方,炭酸ナトリウムの場合は,陽イオンの電荷が二つのナトリウムイオンに分散してしまっているため,格子エンタルピーによる安定化と比べて,水和による安定化が相対的に有利となり,溶解度が大きくなります。

ナトリウムイオンとカルシウムイオンの価数の違いによる化学的性質の違いは溶解度だけにとどまりません。炭酸カルシウムは加熱により熱分解して二酸化炭素を放出して生石灰 $\ce{CaO}$ になることも良く知られていて,工業的には生石灰は $\ce{CaCO3}$ を $900$~$1000\oC$ で焼成して製造されます。

$$\ce{CaCO3 ->[\Delta] CaO + CO2}$$

一方,ソルベー法アンモニアソーダ法)の製法を見てもわかる通り,炭酸水素ナトリウム $\ce{NaHCO3}$ を加熱すると炭酸ナトリウム $\ce{Na2CO3}$ にはなりますが,炭酸ナトリウムは加熱に対して安定で,二酸化炭素の放出は起こりません。炭酸イオン $\ce{CO3^{2-}}$ が分解して二酸化炭素を放出するには,後に $2-$ 分の負電荷をもつ $\ce{O^{2-}}$ イオンを残していく必要があるため,$\ce{O^{2-}}$ の受け取り手となる陽イオンの存在が必要です。カルシウムイオンは 2 価の正電荷でこの役割を果たす一方,1 価のナトリウムイオンは力及ばずで二酸化炭素が遊離することができません。ちなみに同じ 2 価の陽イオンであっても,イオンサイズが小さい方が電荷密度が大きくなるため,より強力に $\ce{O^{2-}}$ イオンの電子を引き寄せます。そのため熱分解に必要な温度は $\ce{MgCO3} < \ce{CaCO3} < \ce{SrCO3}$ の順に高くなり,イオン半径が大きい場合には外部からより多くのエネルギーを与えてあげないと,二酸化炭素が遊離しないことが分かります。

炭酸カルシウムで重要なもう一つの重要な化学的性質は,酸と反応して二酸化炭素を発生することです。これは実験室における二酸化炭素の発生法として代表的なものです。炭酸カルシウムは大抵の酸と反応しますが,中学校では希塩酸を用いると習います。

$$\ce{CaCO3 + 2HCl -> CaCl2 + H2O + CO2}$$

なぜ希塩酸なのか。希硫酸だと石灰石の表面が不溶性の硫酸カルシウムで覆われてしまい,気体の発生が止まってしまいます。濃塩酸は反応が激しくなりすぎて危険ということと,発生する気体に塩化水素が混入すると,石灰水で二酸化炭素の検出ができなくなるためでしょう。硝酸は希硝酸であれば使えそうな気がしますが,硝酸自体が薄く色づくことがあるので,観察の邪魔をしない希塩酸が望ましいという判断かと思われます。また,酢酸のような有機酸を用いた場合,発生する二酸化炭素が炭酸カルシウム由来であるのか,カルボン酸由来であるのかがはっきりしなくなるため,教育的配慮を含めた総合的判断としては希塩酸が無難なのだと思われます。また,そこまで深読みしなくとも,値段が安い石灰石と塩酸の組合せが最も合理的であるのは明らかです。

炭酸カルシウムの工業的製法

炭酸カルシウムは主に二種類の方法により製造されています。一つは石灰石を機械的に粉砕して製造するもので,これにより得られた炭酸カルシウムは重質炭酸カルシウムと呼ばれています。化学変化を伴いませんので大量に安く製造することができますが,機械的加工なので粉末の粒径や形状を制御することは難しいです。もう一つの方法は石灰乳(消石灰の懸濁液)に二酸化炭素を吹き込むことで化学的に合成する方法で,これにより得られた炭酸カルシウムは軽質炭酸カルシウムといいます。化学反応を利用するため高純度品を得ることができることに加え,反応条件を変えることで粒径や形状をさまざまに変えることができるのが特徴です。

炭酸カルシウムの利用

最近の学校ではホワイトボードの普及も進んでいますが,昔ながらの黒板に用いるチョークには炭酸カルシウムが使われています(硫酸カルシウムを使っているものもあります)。昔の学校の掃除当番では黒板消し叩きがあって,両手に黒板消しを持って外でパンパンすると白い粉がもうもうと立ち込めたものです。今にして思えば,マスクもせずにあの粉塵を吸い込むのは大丈夫だったのだろうかと思わなくもないですが,基本的に炭酸カルシウムは毒性に関しては心配されておらず,工場や採掘場で日常的に粉塵を吸入するというような極端な状況でなければ積極的な防護をしなくても健康被害には至らないものと思われます。

最近ではグラウンドに白線を引くためのラインパウダーとしても炭酸カルシウムが用いられています。実はこれは昔は消石灰 $\ce{Ca(OH)2}$ が使われていたのですが,消石灰は水に溶けると塩基性が強く危ないということで,炭酸カルシウムの使用に切り替わりつつあります。確かにグラウンドで児童たちが白線を手で触って,その手で目をこすらないとも限りませんので,消石灰よりは炭酸カルシウムの方が安全面では安心のような気もします。ただし,消石灰と炭酸カルシウムでは水への溶解度が大きく異なりますので,ラインを引いた後の土の表面への定着の仕方や,使用後のグラウンドへの残留具合などは恐らく消石灰を用いた方が使い勝手が良いのではないかと思います。利便性を確保しつつ,より安全な物質への代替を探すというのは常に困難が伴うものです。

日本画などに用いられる白色顔料に,貝殻から作られる胡粉(ごふん)というものがありますが,胡粉の主成分も炭酸カルシウムです。工業的に大量に安く作れそうですが,微量不純物を含むことで実現できる,純白とはまた異なる天然の白が美しいのでしょう。現代においても貝殻を原料として製造されているようです。胡粉はそのままではただの粉ですので,これを膠と混ぜて練って,色材として用います。伝統的な日本人形のマットな感じの白い肌にも胡粉は使われています。大量生産品は違うでしょうが,きちんとした工芸品を見る機会があれば,肌の質感にも着目してみてください。

炭酸カルシウムは食品添加物としても使用が認められていますので,カルシウムの栄養補給や食感改善を目的として用いられています。水に溶けないのだから摂取しても吸収されないのではないかと思うかもしれませんが,酸性の胃液で溶けます。また,ドロマイト(dolomite)は炭酸カルシウムと炭酸マグネシウムの両方を含む鉱物で,こちらも食品添加物として用いることができ,カルシウムとマグネシウムの両方を同時に摂取することができます。

さまざまな身近な商品に利用される炭酸カルシウムですが,石灰石の国内利用として多いのはセメント用です。また,鉄の製錬でも石灰石が用いられていて,鉄鉱石にコークスと石灰石を加えて高炉で溶かすと銑鉄(pig iron)が得られます。鉄鉱石(酸化鉄)を還元する目的であればコークスだけで事足りるので,鉄鉱石+コークス+石灰石のレシピにおける石灰石の役割がいまいちわかりにくいのですが,鉄鉱石は酸化鉄の他に多くの不純物を含んでおり,石灰石を加えることで,これらがスラグ(slag)として分離されます。つまり鉄の純度を高めるために石灰石が用いられているということになります。こう書くとスラグが製鉄の際に出る産業廃棄物のようにとられるかもしれませんが,スラグは工業製品として土木や建築において有効に活用されています。

牛乳はカルシウムが豊富で子供の成長には欠かせませんが,乳牛が牛乳を出すには栄養分として大量のカルシウムが必要となります。そのため,乳牛の飼料にはカルシウム分を補うために炭酸カルシウムが配合されているそうで,牛乳のカルシウムも元をたどると炭酸カルシウムということのようです。建材から食品に至るまで,炭酸カルシウムが私たちの日々の生活に深く関わっていることがお分かりいただけるのではないかと思います。

最終更新日 2023/01/31

用語一覧