1. 化学熱力学
  2. 酸化還元

酸化還元

速習編の最後は,酸化還元反応と熱力学の関係について触れておきたいと思います。酸化還元については独立した講義 > 酸化還元を用意していますが,熱力学的な背景については本節をベースにしています。酸化還元は電子の授受で考えることができ,よそから電子をもらえば自分は還元され,よそに自分が持っている電子を与えれば自分は酸化されますので,酸化と還元は常にセットで起こります。硫酸銅水溶液に亜鉛板を浸すと $\ce{Zn}$ が $\ce{Zn^{2+}}$ となって溶解して亜鉛板の表面に銅が析出する反応は高校化学でもおなじみです。

$$\ce{Zn(s) + Cu^{2+}(aq) -> Zn^{2+}(aq) + Cu(s)} \label{ZnCu}$$

この場合,亜鉛が酸化されて亜鉛イオンとなり,銅イオンは還元されて銅になります。この反応の逆反応,すなわち銅が溶けて亜鉛イオンが亜鉛となって析出する反応は起こらないと高校化学では教わり,どちらがイオンになりやすいかを示した序列としてイオン化列イオン化傾向)を考えればよいことになっています。これを熱力学的な視点で眺めてみましょう。

この反応がどちらに進むかの方向を決めているのはギブズエネルギー変化です。式($\ref{ZnCu}$)の反応は $\DGo{r}$ がマイナスで $\DGo{r} = -213\kJmol$ となります。この値を使って,反応の平衡定数を求めることもできます。つまり,高校化学では逆反応は起こらないと習い,確かにこのくらいの $\DGo{r}$ があると圧倒的に正反応が有利ですが,厳密には逆反応も起こり,やがて平衡状態に達します。

他の金属の組み合わせではどうでしょうか。鉛を加えて,金属を三つにすると,亜鉛と鉛,亜鉛と銅,銅と鉛の三つの組み合わせが考えられます。組み合わせの総数は $_3 C_2 = 3$ で求まります。周期表にはたくさんの金属元素が載っています。例えば 50 種類だとどうでしょうか。$_{50} C_2 = 1225$ となり,これはなかなか全部の組み合せを書き出すのは大変そうです。実際にはもっとたくさんの元素がありますし,イオンの価数なども考え出すと,すべての組み合わせを網羅するのは現実的ではありません。

幸いにも私たちが知りたいのはギブズエネルギーの差ですから,何か基準となる物質を一つ決めておいて,その基準物質を相手にしたときの $\DGo{r}$ をそれぞれの物質について求めておけば,あとは必要な組み合わせのものどうしで引き算すれば,基準からの分は相殺されます。そうすれば,1225 通りのデータを書き並べる必要はなく,50 種類について基準に対するデータを書いておけば,あとは自分の好きな組み合わせで計算することができます。

酸化還元反応に伴う熱の出入りを精密に測定して基準物質との間での $\DGo{r}$ を求めても良いのですが,酸化還元反応は電池の原理であることからも分かるように,二つの酸化還元反応を用いて電池を組み立て,生じた電位差を測定する方がはるかに簡単で正確です。ということで,基準となる物質というよりは基準となる電極と言う方が正確で,標準水素電極(standard hydrogen electrode, SHE)と呼ばれる電極が基準として採用されています。つまり,知りたい物質が標準状態で還元されるときの,標準水素電極との電位差を報告する約束です。この電位差を標準電極電位(standard electrode potential)または標準還元電位(standard reduction potential)といいます。

標準水素電極 SHE は酸性水溶液中で水素イオンが水素に還元される反応を利用した電極です。もう一方の電極として,例えば亜鉛イオンが溶けた溶液に亜鉛板を入れたものを使えば,二つの電極を使って電池を組み立て,その電位差を測定することで,亜鉛イオンの標準電極電位が求まります。データベースを見ると,$\ce{Zn^{2+}}$ と $\ce{Cu^{2+}}$ の標準電極電位がそれぞれ $-0.7618\unit{V}$ と $+0.3419\unit{V}$ と書いてありますので,式($\ref{ZnCu}$)の反応の電位差は引き算して $+1.1038\unit{V}$ とわかります。高校化学の教科書でダニエル電池の起電力(electromotive force, emf)が約 $1.1\unit{V}$ と書いてあるのは,この値に由来しています。詳しくは講義 > 酸化還元 > 酸化還元の方向をご覧ください。

ギブズエネルギーの代わりに電位差を使うということですが,両者の関係が分からないとスッキリしません。ここでは結果だけを示します。

$$\DGo{r} = -\nue F \Eocell$$

$\nue$ はその酸化還元反応に関わる電子数,$F$ はファラデー定数,$\Eocell$ は標準電池電位(standard cell potential)です。式($\ref{ZnCu}$)の反応の場合は電子数は $2$ となりますので,次式で $\DGo{r}$ が得られます。

$$\DGo{r} = -2\times 96485\times (+1.1038) = -213\kJmol$$

起電力と電池電位に関する補足

上で起電力と電池電位という二つの用語を用いました。起電力と電池電位のどちらの用語を使うべきかはなかなか厄介な問題で,色々な教科書を見ても扱いが異なっていたり玉虫色の表現になっていてスッキリしません。私個人としては原田恒司氏による論文「電磁気学における起電力」における考察が腑に落ちました。ただし,この論文は物理の教育者向けであって化学の初学者にとっては少し敷居が高いかもしれません。

まず起電力は力ではなく,起電力と力は異なる組立単位を持ちます。この事実をもって起電力という言葉はやめて電位差(電池電位)と言いましょうという理屈の説明もあるのですが,実はそれも間違いで,以下で説明するように起電力=電池電位でもありません。現状,起電力とイコールである代替の言葉はなく,また起電力という言葉がすっかり市民権を得ているので,言葉としての不正確さを認識しつつも使い続けているのが実状のようです。

起電力と電位差の違いについての丁寧な考察は上記論文にあるのですが,化学を学ぶという範囲においては次のようなイメージが良いように思います。それは,電池とは内部で電荷を一方の電極側から他方の電極側に移動させる「電荷偏らせマシン」という装置であって,起電力はその装置の能力のことであるという考え方です。そしてこの装置がはたらいた(電荷を偏らせた)結果として生じるのが電位差になります。つまり起電力は原因であって電位差は結果です。そして,この装置の能力(起電力)を表す方法として開回路での電極間の電位差(電池電位)を用いていることから,起電力=電池電位という認識が広まってしまったのではないかと思われます。以下,上記文献からの引用です。

起電力を(電流を流さないときの)電池の端子間の電位差であると記述するテキストは多い。これは間違いではないが,起電力と電位差を混同させる可能性がある点であまり望ましいものではないと私は考える。

電流の有無にかかわらず(装置の能力なので)起電力は存在しますが,電流を流しているときは生じた電位差で起電力を表すことはできず,開回路での電位差が数値としては起電力に一致します。

最終更新日 2023/05/23