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電子吸収スペクトル

前節までに $\ao{d}^1$ 電子配置を持つ $\ce{[Ti(OH2)6]^{3+}}$ 錯イオンのスペクトルを錯体の吸収スペクトルの例として示しました。本節では他にもいくつかの例を示し,電子間反発やヤーン・テラー効果が錯体の吸収スペクトルにどのような形で現れるのかを見てみましょう。以下はすべて $\ao{d}$-$\ao{d}$ 遷移の例となっています。

$\ao{d}^3$ 電子配置

$\ao{d}^3$ の電子配置を持つ $\ce{[Cr^{III}(en)3]^{3+}}$ の吸収スペクトルは,二つのスピン許容な $\ao{d}$-$\ao{d}$ 遷移($\irrep{^4T}{2g}\leftarrow\irrep{^4A}{2g}$ と $\irrep{^4T}{1g}\leftarrow\irrep{^4A}{2g}$)を示します[1]。これらは電子配置を考える限りにおいては,どちらも $\irrep{t}{2g}^2\irrep{e}{g}^1\leftarrow\irrep{t}{2g}^3$ に相当する遷移で共通のはずですが,実際は電子間反発によりエネルギーの異なる二つの吸収帯として観測されます[2]。定性的には,例えば $\ao{d}_{xy}$ 軌道にある電子が,$\ao{d}_{x^2-y^2}$ 軌道に励起される場合と,$\ao{d}_{z^2}$ 軌道に励起される場合を考えると分かりやすいです。$\ao{d}_{yz}$ および $\ao{d}_{zx}$ 軌道には,既に電子が存在して $z$ 方向の電子密度が高い状態ですので,$\ao{d}_{z^2}$ 軌道への励起というのはより大きな電子間反発を引き起こすと考えられます。一方,$\ao{d}_{x^2-y^2}$ 軌道への励起であれば,生じる電子間反発は小さいと予想され,このような電子間反発の差が吸収スペクトルの吸収帯の分裂という形で観測されることがわかります。

[Cr(III)(en)3]3+の吸収スペクトル

$\ce{[Cr^{III}(en)3]^{3+}}$ の吸収スペクトル

高スピン $\ao{d}^6$ 電子配置

$\ce{[Co^{III}F6]^{3-}}$ は,高スピン $\ao{d}^6$ 電子配置を有する錯イオンです。後で学ぶように,田辺・菅野ダイヤグラムを見ると,スピン許容な遷移は ${^5\irrep{E}{g}}\leftarrow {^5\irrep{T}{2g}}$ のみの観測が予想されるのですが,その吸収スペクトルは以下に示すように二つのピークに分裂します。これは ${^5\irrep{E}{g}}$ 状態がヤーン・テラー効果により $\grp{D}{4h}$ 対称に歪み,$^5\irrep{A}{1g}$ と $^5\irrep{B}{1g}$ の二つの状態に分裂するためです[3]。田辺・菅野ダイヤグラムは構造を固定して考えており,ヤーン・テラー効果は考慮されていないため,実験結果と理論的予測が異なることがあり注意が必要です。

[Co(III)F6]3-の吸収スペクトル

$\ce{[Co^{III}F6]^{3-}}$ の吸収スペクトル

最終更新日 2022/07/14