水の蒸発
$1$ 気圧 $25\oC$ で液体の水が気体の水に変化する現象,すなわち水の蒸発を考えます。
このときの熱の出入り,すなわち水の蒸発熱は $-44\kJmol$ ですが,エンタルピーで表現すると,水の蒸発エンタルピーは $\DelH{vap} = +44\kJmol$ となり,液体の水が気体の水になるには,外界からエネルギーをもらう必要があることがわかります。添え字の $\mathrm{vap}$ は蒸発(vaporization)を表しています。プロパンの燃焼と異なり,蒸発の前後で $\ce{O-H}$ 結合の組み換えはありませんが,液体の水分子は分子間力によって互いに引き寄せあっています。水を液体から気体に変えるというのは,水分子が互いに引き合う力を断ち切って,バラバラにすることです。そのために必要なエネルギーが水 $1\unit{mol}$ あたり $+44\unit{kJ}$ ということです。ということは,液体中で水分子が互いに引き合うエネルギーは水 $1\unit{mol}$ あたり $+44\unit{kJ}$ でしょうか。
実はそうではありません。水は液体から気体に状態変化する際に体積が大きくなります。この生じた水蒸気は大気圧に逆らって拡がらなくてはなりません。これは大気に対して,生じた水蒸気が仕事をすることに相当します。力と距離の積が仕事ですが,この場合の力は圧力 $P$,距離は生じた水蒸気の体積 $V$ で置き換えて,圧力と体積の積 $PV$ が水蒸気が大気という外界に対してなした仕事になります。この仕事の分のエネルギーを考慮して,熱の出入りを表したものがエンタルピーとなります。つまり,水が蒸発するには,水分子がバラバラになるのに必要なエネルギーと,水蒸気が大気を押しのけて拡がるのに必要なエネルギーの両方を外界から供給してあげなくてはなりません。前者の,水分子がバラバラになるのに必要なエネルギーは $\DelH{vap}$ から仕事分 $PV$ を引いた量になります。
定圧条件とエンタルピー
エンタルピーは圧力が変わらない条件(定圧条件)と相性が良い状態量です。教科書などに「定圧条件のもとでの熱の出入りはエンタルピー変化に等しい」と書いてあるのを見て,「エンタルピーは定圧条件のときにだけ存在する」と勘違いしがちですが,それは違います。エンタルピーは状態量ですので,圧力が変わろうが温度が変わろうが,状態が定まれば,具体的な値が何であるかはさておき,その状態におけるエンタルピーは定まります。ですから,エンタルピーの存在に定圧という条件は必要ありません。ただ,定圧条件の下では,熱の出入り量とエンタルピー変化が等しくなるので,(人間にとって便利という意味で)エンタルピーと定圧条件は相性が良いのです。
定圧条件の典型例は,入試問題にもよく登場する「滑らかに動くピストン付きの密閉容器」でしょう。ピストンの重量を無視すれば,容器内の圧力は常に大気圧に等しくなるので定圧条件が満たされます。もちろん,その代償として体積は変化します。もう一つの入試問題の定番である「体積一定の密閉容器」は,体積が一定である代わりに定圧は保証されません。このような場合はエンタルピーではなく,内部エネルギー $U$ の出番なのですが,速習編では深入りしません。ビーカーでお湯を沸かす場合を考えましょう。お湯は大気に接しているので,大気圧が一定とすれば,系は定圧条件です。したがって,通常のビーカーやフラスコでの反応や状態変化を考えるときは定圧条件とみなすことができるので,エンタルピー変化が実際の熱の出入りと一致していて都合が良いのです。