硬い・軟らかいの概念 - 酸・塩基 - Chemist Eyes
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硬い・軟らかいの概念

本節では,これまでに紹介したのとは異なる観点からの酸・塩基の概念を紹介します。といっても,新しい酸・塩基の定義を与えるわけではなく,ルイス酸・塩基をさらに分類しようという考え方です。どのように分類するかと言うと,酸や塩基を硬い(hard)ものと軟らかい(soft)ものに分けます。酸と塩基ですので,強い・弱いであればイメージがわくと思いますが,硬い・軟らかいと聞くと「??」となるのではないでしょうか。この硬い・軟らかいは実際の酸や塩基がガチガチだったりフニャフニャだったりするという意味ではありません。電子対を与えたり,受け入れたりする原子の(化学者がなんとなくイメージとして持っている)フワフワ感を言葉にしたというのが実際のところです。どういうことかと言うと,例えば金属イオンは配位子を受け入れるルイス酸ですが,イオン半径が小さいイオン($\ce{Li+}$,$\ce{Mg^{2+}}$,$\ce{Al^{3+}}$ など)は,電子が原子核にしっかりと捕捉されていて,電子雲がギュッと引き締まっているイメージです。これを硬い酸(hard acid)と分類します。一方,高周期でイオン半径が大きいイオン,例えば $\ce{Ag+}$,$\ce{Pd^{2+}}$,$\ce{Cd^{2+}}$ などは,電子雲の外側が原子核から遠く,あまり束縛されていない状態です。もう少し専門的には分極しやすいという言い方をします。このような酸は軟らかい酸(soft acid)と分類します。塩基についても同様で,電子対を自分側に強く引き寄せて束縛しているのが硬い塩基(hard base),電子対の束縛が弱いのが軟らかい塩基(soft base)です。例えば,ハロゲン化物イオンのうち,フッ化物イオン $\ce{F-}$ は最もサイズが小さく,分極しにくいアニオンですので,硬い塩基と分類されます。一方,ヨウ化物イオン $\ce{I-}$ はサイズが大きくて,外側の電子は原子核からの束縛が弱い状態であり,軟らかい塩基と分類されます。このように,酸・塩基を硬い・軟らかいで分類する考え方はピアソン(Ralph Pearson)によって提唱されたもので,HSAB 則または HSAB 原理と呼ばれています。ここで HSAB は,Hard and Soft Acids and Bases の頭文字です。

硬い酸・塩基

上では化学者のイメージというあいまいな説明をしました。実際のところ,このイメージが最も大切だったりするのですが,もう少しきっちりした説明を与えることもできます。つまり,どういう状況のときに化学者は硬いと感じるかということです。

  • 硬い酸・塩基は電荷が大きく,サイズが小さいため,電子が分極しにくい。
  • 硬い酸は LUMO のエネルギーが高く,還元されにくい。
  • 硬い塩基は HOMO のエネルギーが低く,酸化されにくい。

サイズが小さく,分極しにくいものを「硬い」と表現することは既に述べましたが,この条件を満たすイオンは,周期表の低周期の元素のイオンです。特に電荷が大きくて,原子核の正電荷が電子を強く束縛するイオンは「硬い」の代表例となります。硬い酸は塩基の電子対を受け取るハードルが高い,すなわち電子対の受け皿となる LUMO のエネルギーが高いのが特徴です。したがって,酸塩基反応により結合が生じた後も,カチオンとしての性質を強く残します。一方,硬い塩基は与えるべき電子対を強く束縛していますので,(塩基と言いつつ)電子対を与えにくく,結合が生じた後もアニオンとしての性質を強く残します。よって,硬い酸と硬い塩基が反応して生じた結合は,もともとのカチオン,アニオンとしての性質が強く残り,イオン結合性が高い状態となります。遷移元素では $\ao{d}$ 電子数が少ないイオンは硬い酸であり,イオン性の高い結合を好む傾向があります。

一方,硬いの反対が軟らかい酸・塩基です。

  • 軟らかい酸・塩基は電荷が小さく,サイズが大きいため,電子が分極しやすい。
  • 軟らかい酸は LUMO のエネルギーが低く,還元されやすい。
  • 軟らかい塩基は HOMO のエネルギーが高く,酸化されやすい。

硬い酸・塩基どうしが反応してできる結合はイオン結合性が高いのに対し,軟らかい酸・塩基どうしが反応してできる結合は共有結合性が高くなります。では,硬いと軟らかいの組み合わせではどうなるか?これらは相性が悪く,基本的には硬い酸と塩基,軟らかい酸と塩基が反応したものがより安定であるという特徴があります[1]。この特徴は特に天然鉱物で良く表れていて,例えばアルミニウムや鉄は天然には酸化物であるボーキサイト $\ce{Al2O3}$ や赤鉄鉱(ヘマタイト)$\ce{Fe2O3}$ として産出することが多いのですが,これらは硬い酸である $\ce{Al^{3+}}$ や $\ce{Fe^{3+}}$ と,硬い塩基である $\ce{O^{2-}}$ が反応したものです。一方,水銀のような軟らかい酸は,軟らかい塩基と組み合わさって硫化物である辰砂 $\ce{HgS}$ として産出します。天然鉱物は長い時間をかけて自然の中で形成されるものですが,形成の過程の中で例えば $\ce{Al^{3+}}$ と $\ce{S^{2-}}$ が出会う機会もあったと思いますが,長い時間の中でより安定な硬いものどうし,軟らかいものどうしの組み合わせが選択された結果,地球上に現存する鉱物となっていると考えられます。

金属イオンの系統分析

硬い,軟らかいの概念を巧みに利用した例として,金属イオンの系統分析を紹介します。色々な金属イオンが混ざった未知試料から,各金属イオンを順に沈殿として取り出して検出する分析を無機定性分析とか系統分析といいます。未知試料に塩酸を加えるところから始めるのが定石で,高校の化学でも基礎的な部分は学習していると思います。受験対策で下のようなフローチャートを暗記した方もいるのではないでしょうか。ここでは,なぜこのような分離が可能であるのかという理由について考えてみましょう。

金属イオンの系統分析

金属イオンの系統分析

最初に塩酸を加えると塩化物の沈殿として分離されるイオンを第 1 属といい,$\ce{Ag+}$ や $\ce{Pb^{2+}}$ などがあります。実は塩化物が沈殿する金属イオンというのはそれほど多くなくて,まずはその数少ないイオンを除いてしまいましょうというのが第 1 属分離の趣旨です[2]

HSAB 則が関わるのは次の第 2 属の分離です。液性を酸性にしたうえで未知試料に硫化水素 $\ce{H2S}$ を吹き込みます。$\ce{H2S}$ は弱酸ですので,酸性条件ではほとんど電離せず,わずかな硫化物イオン $\ce{S^{2-}}$ しか液中に存在しないことになります。このような(不利な)条件下で硫化物が生じるということは,よほど硫化物イオンとの相性が良いイオンということになりますが,硫化物イオンは軟らかい塩基ですので,軟らかい酸である $\ce{Cu^{2+}}$ や $\ce{Cd^{2+}}$ などが相性が良く,沈殿します。

次に水酸化物イオンを加えます。水酸化物イオンは硬い塩基ですので,硬い酸が水酸化物を生じ沈殿します。これが第 3 属です。

そして,次に再び硫化水素 $\ce{H2S}$ が登場します。ただし,今回は液性を塩基性にしたうえで $\ce{H2S}$ を試料に吹き込みます。第 2 属の分離は酸性条件で行いましたので,硫化物イオンととても相性の良い金属イオンのみが硫化物として沈殿しましたが,今度は塩基性条件ですので,先ほどよりも多くの硫化物イオンが存在します。したがって,第 2 属ほどではないが軟らかい酸が硫化物を生成する方向に平衡が傾きます。これが第 4 属で,$\ce{Zn^{2+}}$,$\ce{Ni^{2+}}$,$\ce{Co^{2+}}$ などが該当します。同じ硫化物として取り出す反応でも液性を変えることで分けて沈殿させることができるのは,HSAB 則に基づく巧みな実験計画のおかげです。

最後に残るのが第 5 属で,アルカリ土類金属が該当します。これらを沈殿させるには,2 価アニオンである炭酸イオンを用います。価数が大きいイオンどうし,大きな格子エンタルピーによる安定化が得られ,炭酸塩として沈殿が生じます。以上見てきたような分析実験は,高校の化学実験や大学入学後の実験授業で体験した方もいるかと思います。テキスト通りに行えば確かに結果は得られますが,なぜこの順番でこの操作が必要なのかということを,その背景となる知識とともに考えてみると,同じ実験であってもまた少し違った景色が見えてくるのではないでしょうか。

最終更新日 2022/10/27