王水
おうすい
aqua regia
王水は名称のインパクトと金を溶かすという特異性から,存在は良く知られていますが,しばしば「何でも溶かす液体」のように誇張された表現で紹介されることがあります。しかし少なくとも王水はガラスを溶かしませんし,金属であってもイリジウムは王水にはほとんど溶けません。またクロムは王水中で不動態を形成します。
「王水は金をも溶かしてしまうが,銀は塩化銀の膜をつくるので溶けない」といった紹介のされ方をすることもあります。金の唯一の弱点に対して銀が対処できるといった感覚なのかもしれませんが,既に述べたように王水に溶けない金属は他にもありますし,金はヨードチンキ(ヨウ素とヨウ化カリウムのエタノール溶液)にも溶けますので,金の唯一の弱点が王水といった認識も正しくありません。
王水は英語では aqua regia と言い,ラテン語由来の呼び方となっています。名付け親はラボアジエ(Antoine Lavoisier)でフランス人ですし,時代背景を考えればラテン語ベースの命名に違和感はありませんが,英語圏に入った際も king water という英語訳にはならなかったようです。面白いことにドイツ語では Königswasser すなわち王(König)の水(Wasser)と呼ぶようで,日本語の王水はドイツ語の直訳なのかもしれません。
王水の調製法
一般的な王水の調製法は,濃硝酸と濃塩酸の体積比 $1:3$ での混合です。これにより,以下の化学反応が起こり,赤橙色の液体が生じます。
化学式(\ref{aquaregia})だけをみると王水は酸ではない(右辺でプロトンを持っているのは水だけ)のように見えますが,一般的な濃硝酸と濃塩酸のモル濃度はそれぞれ $15\molL$ と $12\molL$ くらいですので,体積比 $1:3$ で混合するとモル比としては $1:2.4$ 程度となり,やや塩酸が不足する計算となります(モル比を $1:3$ にしようとすると体積比を $1:3.75$ 程度にしなくてはなりません)。反応は平衡反応であり,混合比も等量関係にないため,反応(\ref{aquaregia})が定量的かつ化学量論的に過不足なく反応するわけではなく,王水は強酸です。後で述べるように金の溶解反応には複数の化学種がかかわっており,体積比 $1:3$ というのは,金属を溶解する目的で使いやすい(能力が高い)という経験から生まれたレシピであるかと思われます。ちなみに混合比を逆にした濃硝酸 3,濃塩酸 1 の液体は逆王水(inverse aqua regia,reverse aqua regia)といい,この場合は硝酸が王水の場合以上に過剰となります。
式(\ref{aquaregia})右辺の塩化ニトロシル $\ce{NOCl}$ は強い酸化剤ですが,塩化ニトロシルと塩素 $\ce{Cl2}$ はともに揮発性であり,また塩化ニトロシルは分解しやすいので,王水はその能力を保ったままの長期保存はできません。このことからも,王水が金属を溶かす(= 酸化する)うえで塩化ニトロシルの存在が重要であることがわかります。
王水はなぜ金を溶かすのか
王水の最も有名な特徴は金を溶かすことですが,濃硝酸にも濃塩酸にも溶けない金が,なぜこれらを混合した王水には溶けるのでしょうか。硝酸や塩化ニトロシルの強い酸化剤としてのはたらきだけでは十分な説明ができません。溶解後の生成物はテトラクロリド金(III)酸イオン $\ce{[AuCl4]-}$ であり,金が 3 価に酸化されています。したがって考えられる溶解のメカニズムとして,硝酸あるいは塩化ニトロシルが固体の金を酸化して,溶液中に $\ce{Au^{3+}}$ イオンを生じさせ,これと塩酸由来の塩化物イオンが錯形成することで,平衡が $\ce{Au^{3+}}$ イオンが生じる方向に傾き,金が溶解するという考え方が一般的には受け入れられているようです。
ただし,もうひとつの可能性として,固体の金表面に塩化物イオンあるいは塩素 $\ce{Cl2}$ が吸着し,局所的に金が酸化されやすくなって反応が進むというメカニズムも起こりうるように思われます。その根拠として,金イオンは塩化物イオンの配位によって電極電位が小さくなる(還元されにくくなる=酸化されやすくなる)ことが挙げられます。具体的には $\ce{Au^{3+} + 3e- <=> Au}$ と $\ce{[AuCl4]- + 3e- <=> Au + 4Cl-}$ の標準電極電位がそれぞれ $1.52\unit{V}$ と $1.002\unit{V}$ であり $\ce{[AuCl4]-}$ の電極電位は $\ce{Au^3+}$ イオンと比べて $0.5\unit{V}$ ほど小さくなっています。固体表面への吸着と錯イオンの形成の効果は必ずしも同一視できませんが,可能性として排除はできないように思われます。
「王水は強力な酸だから,金でさえも溶かす」という言われ方をしますが,超酸ではないので酸としての強度よりも,実際にはここで述べたように複数化学種による酸化還元反応,錯形成による平衡移動などの要因によって進行する溶解反応であると考えられます。
王水を初めて手にしたのはイスラムの錬金術師のようですが,金を溶かした王水を権力者に差し出して「これは金を生む液体です」とアピールしたのかもしれません(だとしたらもちろんインチキですが)。科学的機知に富んだ王水の利用として,ナチスによる接収を逃れるために,ノーベル物理学賞の金メダルを王水に溶かして保管し,終戦後に再び金に還元してメダルを作り直したという逸話が残っています。
参考
- 王水で金箔を溶かす, 高木春光, 化学と教育, 2014, 62, 194 - 195.
最終更新日 2023/02/12