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熱平衡と熱量

想像してください。断熱容器[1]に入った $10\oC$ の水があります。そこに $100\oC$ に熱した鉄製の球をポチャンと落とすと,水の温度はどうなるでしょうか。普通に考えれば,水の温度が $10\oC$ よりも高くなるというのが答えですが,水の量がプール級で,鉄球のサイズが米粒級であれば,水温は誤差の範囲で変化しないというのが正解でしょう。しかし,いずれの場合でも,鉄球を落としてしばらくすると,水温と鉄球の温度は等しくなり,断熱容器なので,その後は時間が経っても水温は変化しなくなります[2]。このように,

エネルギーや物質の出入りがない条件で,遠目に見て,時間が経っても何の変化も起こらない状態

熱平衡あるいは熱平衡状態と言います[3]。「何の変化も起こらない」というのは温度に限らず,体積や圧力なども変化しないということです。ただし,「遠目に見て」という条件に注意が必要です。「遠目に」という表現を使う教科書はあまりなくて,普通は巨視的とかマクロに見てという言い方をしますが,これは,うんと拡大して,水分子のレベルで見ると,水分子は絶えず熱運動しており,運動の状態は時間とともに絶えず変化しているけれども,そういう微視的(ミクロ)な視点は考えないということを意味しています。また「エネルギーや物質の出入りがない条件」というのも大切で,例えば,水が入った風呂に毎分 $1\unit{L}$ で水を足しつつ,排水口から毎分 $1\unit{L}$ ずつ水を抜く場合,風呂の水の量(体積)は一定ですが,物質が出入りしているので,たとえ温度やその他もろもろが一定で変化しないとしても,これは平衡状態ではなく,定常状態と呼ばれます[4]

さて,上で示した $10\oC$ の水と $100\oC$ の鉄球ですが,鉄球をポチャンと落とすと,サイズに関わらず,鉄球の温度が下がって,熱平衡状態に達します。「はじめに」で述べたように,このとき何が起こっているのか,歴史的には侃々諤々の議論があったようですが,現代では鉄球が持つエネルギーが水に移動することがわかっています。この高温の物体から低温の物体に移動するエネルギーをといい,移動した熱の量を熱量といいます。熱量はエネルギーの量なので,単位はジュール($\mathrm{J}$)を用います[5]

では,どのくらいの熱量が移動すると,温度がどれくらい変化するのか。これは当然,水の量によります。プール級の水の温度を $1\unit{K}$ 上げようとすれば,たくさんのエネルギーが必要になるのは当然です。一方,米粒級の鉄球から水に移ることができる熱量はたかが知れているので,米粒級をプール級に落としても,水温はほとんど変わりません。このように,ある物体の温度を $1\unit{K}$ だけ上昇させるのに必要な熱量を,その物体の熱容量(heat capacity)と言い,記号は $C$ を使うことが多いです。プール級の水の温度を $10\unit{K}$ 上げるには,プール級の水の熱容量が $C_\mathrm{pool}$ であるとして,水に $10C_\mathrm{pool}$ の熱量(あるいはそれに相当する仕事)を与える必要があります。

少々困ったことがあります。風呂級の水の熱容量は $C_\mathrm{bath}$,コップ級の水の熱容量は $C_\mathrm{cup}$ とそれぞれ表せばよいのですが,同じ水という物質を用いているのに,サイズが違うと熱容量が異なるため,一つの数字や記号で表すことができません。これは面倒だということで,熱容量を,量に関係ない水自体が持つ性質と,水の量に分割します[6]。具体的には,決まった質量(通常 $1\unit{g}$)の物質の温度を $1\unit{K}$ だけ上昇させるのに必要な熱量を,その物質の比熱(specific heat)と言います。もし,$10\unit{g}$ の水の熱容量が知りたければ,水の比熱を 10 倍すれば良いことになります。色々な物質の比熱をデータベースとして与えておけば,自分が使う物質の質量に応じて,簡単に熱容量が求まりますので,これは便利です。

グラム当たりの熱容量である比熱は便利ですが,化学では物質の量を扱うのにしばしば $\mathrm{mol}$ を単位とする物質量を用います。特に扱う物質が気体である場合,後で学びますが,気体分子の質量ではなく,個数で熱容量が決まってきますので,個数を考え方の基本としている物質量を単位とした方が扱いやすいです。そこで $1\unit{g}$ の代わりに,$1\unit{mol}$ 当たりの熱容量を約束し,これをモル比熱と言います。モル比熱はモル熱容量 $C_\mathrm{m}$ とも言い,どちらかというと後者の言い方を用いることの方が多い気がします。

今は断熱容器を仮定しているので,容器の外の熱は容器内に入ってきませんし,中の熱が外に出ていくこともありません。つまり,水は鉄球が与える熱を受け取るだけです。このとき,鉄球が与えた(失った)熱量と,水が受け取った熱量は等しくなり,両者を合わせた全体の熱量は変化しません。これを熱量の保存と言います。なんとなく当たり前のように感じますが,このことを受け入れてはじめて,水と鉄それぞれの比熱と質量から,鉄球をポチャンと落とした時の水温の変化を求めることができるようになります。