突沸 - Chemist Eyes

突沸

とっぷつ

bumping

「沸騰石の役割 = 突沸を防ぐ」は小学校で習う理科の単元だったと思います。加熱している液体が突沸すると,熱い液体が吹き上がるので,火傷の危険もありますし,化学実験であれば有害物質の飛散や器具の破裂も伴うことがありますので,突沸は避けなくてはいけないのが原則です。

本当は沸騰石のあるなしでどう違うかとか,突沸するとどうなるかというのを体験しておくのが大切だと思うのですが,実際に突沸すると事故の原因となるので,学校の先生は突沸するような実験操作はなかなかさせてくれません。したがって「突沸は沸騰石を入れて防がなくてはいけないもの」という知識だけが先行してしまって,沸騰石とは縁がない日常生活に潜んだ突沸事故のリスクには目が向きにくいようです。

しかし実際のところ,突沸現象による家庭内事故は決して珍しくなく,ときどき新聞等で注意喚起があります。

飲み物やとろみのある食品を温め過ぎて突然沸騰し飛び散る「突沸」という現象にも注意を。日本電機工業会によると,飲み物はかき混ぜてからレンジへ入れると予防になる。加熱し過ぎた場合は 1 ~ 2 分時間をおいてから取り出す。(朝日新聞 2015 年 8 月 9 日朝刊 くらしの扉)

みそ汁やコーヒーなどを電子レンジなどで温めた際に,急に沸騰して噴き上がる「突沸(とっぷつ)」と呼ばれる現象が起こり,やけどをする事例が相次いでいると国民生活センターが 4 日,発表した。(中略)センターによると,突沸でやけどなどを負ったという情報が 2009 年 4 月以降 35 件寄せられた。「電子レンジで豆乳を加熱した。外に出してのぞきこむと,突沸が起こり顔をやけどした」などだ。顔の被害が半分を占め,1 カ月以上のけがが 8 件あった。(朝日新聞 2014 年 12 月 5 日朝刊)

夏は暑くて火を使いたくないからレンジでチンして突沸,冬は暖かい飲み物が欲しくなるからレンジでチンして突沸と,季節を問わず突沸による事故が発生しているようです。家庭内では,電子レンジでの加熱による突沸の頻度が多いようですが,それ以外のガスコンロ,IH 調理器などによる加熱であっても突沸は起こりますので十分な注意が必要です。しかし,なにをどう注意すればよいのかということについては,突沸が起こるメカニズムの知識があるとないとで心構えが大きく異なるはずです。

突沸はなぜ起こるのか

圧力が一定のもとで液体状態の物質を加熱すると,その液体の蒸気圧は温度の上昇とともに大きくなります。ある温度で,その液体の蒸気圧が大気圧と等しくなって,液体内部からの蒸発が連続的に起こる現象が沸騰(boiling)です。単純に「液体の蒸気圧が大気圧と等しくなる現象が沸騰」と書かなかったのは,「液体の蒸気圧が大気圧と等しくても,液体内部からの蒸発が起こらない状態」が想定されるからで,このような状態を過熱(superheating)といいます。加熱と過熱,紛らわしいですが別物です。本来であれば沸騰するはずの温度を沸点(boiling point)というので,沸点以上にもかかわらず沸騰していない状態が過熱です。厳密な話をすれば,液体内部からの蒸発が起こるためには必ず(局所的な)過熱状態を経なければいけません。したがって過熱と,蒸発による過熱の解消の繰り返しが沸騰であり,沸騰中は沸点を境に(ミクロな視点で)温度が行き来していると見ることもできます。

過熱の解消と書きましたが,解消されやすい条件というのがあり,液体中に微小な固体があったり,気体が溶解していたり,容器の壁面がざらざらしていると,それを核として気泡が発生しやすく,過熱は解消されやすいと言えます。液体の対流が活発で局所的な加熱になりにくいときも過熱は解消されやすいです。これが通常の沸騰。これの反対の状況で突沸が起こりやすくなります。つまり,液体が澄んでいて,脱気されており,スベスベの容器で加熱すると,過熱になっても液体内部からの蒸発が起こりにくく,ある程度そのエネルギーが蓄積されてから一気に蒸発が起こります。これが突沸です。

化学実験では再現性を確保するために,通常,溶媒は蒸留して用いますので,澄んでいて脱気されています。ガラス器具も汚れていては実験結果に影響をおよぼしますので,表面が清浄でスベスベのガラス容器を使います。これはどうぞ突沸してくださいとお膳立てしているかのような状況です。しかし,それでは危険なので突沸を防ぐために入れるのが,冒頭に述べた沸騰石(boiling stone)です。

沸騰石の役割はもちろん突沸を防ぐことですが,もう少しメカニズムサイドから言うと,沸騰の核となる気泡の生成が役割です。よって沸騰石の素材としては気体をたっぷり含んだ多孔質で化学的に変性しないものが選ばれ,素焼き小片や空気を練りこんだガラス片などが代表的です。ガラスを練って手作りしても良いのですが,正直,市販品の方が安上りになります。以下の写真はナカライテスク製のもので,きれいに丸く成形された真っ白い沸騰石がお手ごろな値段で手に入ります。拡大写真をよく見ると,表面が白玉団子のようにツルツルではなく,ザラザラの多孔質でできていることがわかります。沸騰石を入れる代わりに,撹拌をすることでも突沸を防ぐことができますが,これも対流により沸騰の核の生成を促しているわけです。

沸騰石 沸騰石

沸騰石
(ナカライテスク株式会社 web カタログより引用)

自宅で食品を加熱するときには通常,沸騰石は入れません。しかし突沸発生のメカニズムがわかると対策方法が見えてきます。過熱状態をいかに開放するか。一つは撹拌すること。味噌汁などは底に味噌が沈んだ状態だと粘度が上がって局所的な加熱により過熱状態が生じやすくなります。お玉で撹拌しながら加熱すれば突沸を防ぐことができます。

そして電子レンジの使用に際しては,加熱しすぎないこと。沸点以下であれば突沸しません。電子レンジはマイクロ波によって均一,かつ急速に液体を加熱しますので,過熱状態が生じやすく,長時間の加熱は噴火のエネルギーを蓄えるようなものです。最悪なのはコーヒーなどをチンして,加熱直後に砂糖などの固体を入れること。これが核となって過熱状態が一気に解放され,突沸します。

突沸は英語で bumping といいます。sudden boiling は通じると思いますが,たぶんあまりメジャーな表現ではありません。bump というのは「バンッ」とか「ドン」と音を立てて何かがぶつかるという動詞(あるいはその音を表す擬音語)ですが,これはなかなかうまい表現で,実験中に突沸が起こると,たしかにガラス器具から突然「ドン」「バンッ」「ビシッ」という音が響いてきます。日本語は擬音語,擬態語が豊富な言語と聞いたことがありますが,突沸に関しては「突然の沸騰」とちょっとお堅い説明調になったようです。誰もがすぐに突沸を想起できる擬音語が発明されれば,日常生活での注意喚起に役に立つかもしれません。

素焼きの土器を使っていた縄文人や弥生人は突沸には悩まされなかったはずです(具だくさんで粘度が高い汁物だと突沸するかもしれませんが)。文明が進んで,ガラスや釉薬でスベスベの陶器に入れた液体をマイクロ波で急速に加熱するから事故が起こるのです。化学(科学)を学ぶことの意義について,日常生活に関係ないとか一部の専門家のためのものといった論調も耳にしますが,文明の進歩に合わせて誰もが科学の知識やリテラシーをアップデートすることで,日常に潜む危険を回避することにもつながるのではないでしょうか。

最終更新日 2022/08/01