1. 錯体化学
  2. 配位子場理論2

配位子場理論2

ここまでは,配位子と金属イオンとの間の $\sigma$ 結合に着目した配位子場を考えてきました。しかし,結晶場よりも配位子場の方が優れている点の一つに,$\sigma$ 結合と $\pi$ 結合の効果を分けて考えられる点があります。ここでは $\pi$ 結合に着目した配位子場を考えます。

$\pi$ 結合に基づく配位子場

六つの配位子にある,金属方向と直交する向きの 12 個の $\ao{p}$ 軌道(あるいは $\ao{p}$ 軌道と同じ対称性を有する軌道)からなるグループ軌道を考えます。例えば,配位子の $\ao{p}$ 軌道に,下図に示すように番号を付けると,$\ao{p}_{1x}$,$\ao{p}_{1y}$,$\ao{p}_{2x}$,$\ao{p}_{2z}\cdots$ の 12 個の軌道が $\pi$ 結合に関わることができます。

π結合するグループ軌道

$\pi$ 結合するグループ軌道

これらから 12 個のグループ軌道がつくられ,それを対称性ごとにまとめると,$\irrep{t}{1u}$,$\irrep{t}{2u}$,$\irrep{t}{1g}$,$\irrep{t}{2g}$ となります。このうち金属イオンと相互作用しうるのは $\irrep{t}{1u}$ と $\irrep{t}{2g}$ ですが,前者は $\sigma$ 結合の形成で既にエネルギーが大きく変化しているため,$\pi$ 結合の形成によるエネルギー変化は限定的です。一方,$\irrep{t}{2g}$ 軌道は $\sigma$ 結合に関与しない,非結合性軌道でしたので,$\pi$ 結合の影響を相対的に強く受けます。

金属イオンの軌道 対称性 配位子のグループ軌道
$\ao{d}_{xy},\ao{d}_{yz},\ao{d}_{zx}$ $\irrep{t}{2g}$$\pi_{2x}+\pi_{3y}-\pi_{4x}-\pi_{5y}$
$\pi_{1y}+\pi_{3z}-\pi_{6x}-\pi_{5z}$
$\pi_{1x}+\pi_{2z}-\pi_{6y}-\pi_{4z}$

$\irrep{t}{2g}$ グループ軌道と,金属イオンの $\ao{d}$ 軌道の関係には,次の 2 パターンが考えられます。一つは,配位子の作る $\irrep{t}{2g}$ グループ軌道が金属イオンの $\irrep{t}{2g}$ 軌道よりも安定であるときです(下図右)。この場合,結合性の $\irrep{t}{2g}$ 軌道には配位子由来の電子が収まるため,配位子の電子が金属へ供与される,いわゆる普通の配位結合となります。これは酸塩基反応の観点から見ると,配位子がルイス塩基としてはたらいていることになりますので,このような配位子は $\pi$ 塩基性であるといいます。つまり,配位子が金属イオンに電子を供与することで $\pi$ 結合を生じています。このとき,金属イオンの $\irrep{t}{2g}$ 軌道は反結合性軌道 $\irrep{t}{2g}^*$ としてエネルギーが不安定化するため,配位子場分裂 $\Delta_\mathrm{O}$ は小さくなります。

πグループ軌道と金属イオンの相互作用

$\pi$ グループ軌道と金属イオンの相互作用

もう一つのパターンとして,配位子がつくる $\irrep{t}{2g}$ 軌道のエネルギーの方が高くなる場合が考えられます(上図左)。このような性質を持つ配位子は $\pi$ 酸性であり,電子が収められる $\irrep{t}{2g}$ 軌道は,金属イオンの性質を強く持つため,金属イオンの $\ao{d}$ 電子が結合に寄与していると考えることができます。このような,通常とは逆の電子の供与関係を,$\pi$ 逆供与($\pi$ back donation)と呼んでいます。$\pi$ 酸性の配位子の例としては,$\ce{PR3}$,$\ce{CO}$,$\ce{CN-}$ などがあります。図からもわかるように,この場合,$\Delta_\mathrm{O}$ は大きくなります。分光化学系列でこれらの配位子が大きな配位子場分裂を与えることは,結晶場の立場からは説明しにくいものでした。しかし,$\pi$ 逆供与を考えることで,このように合理的に説明できることがわかります。

有機金属化学では,18 電子化合物が安定化するという18 電子則を学びますが,$\sigma$ 結合を与える $\irrep{a}{1g}$,$\irrep{t}{1u}$,$\irrep{e}{g}$ 軌道および $\pi$ 結合を与える $\irrep{t}{2g}$ 軌道を合わせると,全部で 18 電子分の結合性軌道が生じることになり,これが安定化の要因となっています。

最終更新日 2023/05/23